シューベルトの「Adieu」
歌曲王と呼ばれるシューベルトの歌曲はさまざまな楽器に編曲されています。
もちろんギターも例外ではなく、『セレナーデ』などがメルツの編曲により残っています。
さて、先日ちょっとしたきっかけがあって、
タレガの編曲によるシューベルトの『Adieu』(別れ)について調べていたのですが、
どうやらこの曲はシューベルトの作曲かどうか疑わしいという説があるようです。
説の内容を端的に言うと、この曲はもともと『Nach Osten』(東へ)というタイトルであったらしく、
作曲者はAugust Heinrich von Weyrauch(アウグスト・ハインリヒ・フォン・ヴァイラウフ)というもの。
つまり、偽作です。
初出は1824年前後に出版されたドイツ語のテクストによるもので、この時はヴァイラウフ名義でしたが、
何らかの原因で、1835年前後にシューベルトの作品『Adieu』としてフランスで出版されました。
その後のリストなどによるピアノ独奏編曲も、シューベルトによる名義で出版されています。
この傾向は前述のタレガ編曲やコストの伴奏編曲も例外ではなく、やはりシューベルトの作品としてクレジットされています。
では、なぜ作曲者の錯誤が起きたのか。
いくつかの仮説をたてました。
1・単純な取違い
単純に名前を間違えてしまったというもの。海外のコミュニティの意見にもいくつか説がありました。
実際に、作曲家シューベルトと同時期にGotthilf Heinrich von Schubert(ゴッドヒルフ・ハインリヒ・フォン・シューベルト)という哲学者がおり、これをハインリヒ・フォン・ヴァイラウフと混同してしまったというもの。
ちょっと無理筋な気がします。
2・意図的なもの
出版社が意図的にシューベルトとして出版したというもの。
シューベルトは1828年に亡くなっており、その後シューマンやメンデルスゾーンなどがとりあげたことにより、死後有名になったというのが通説ですが、生前からかなりの知名度があったとも言われています。
どちらにせよ、取り違えて出版された1835年の時点で、ある程度のネームバリューがあったことは想像に難くないかと思います。
そう考えると、出版にあたりシューベルトの名を使った方がメリットがあると考えたのかもしれません。
3・そもそも取り違えていない
説を根本から覆すようですが、やはりもともとシューベルトの作品であったというもの。
個人的な意見を言わせてもらうと、旋律がシューベルトらしいと言えばシューベルトらしいし、
違うと言えば違う気もします。
以上をまとめると、やはり明確な確証がないというのが結論になってしまいますが、
前述のリストの編曲譜の解説など、いろいろな文献をあたり調べてみると、
いずれも「シューベルトの作品ではない」という論調でした。
また、音楽史において偽作はさほど珍しいことではなく、
バッハのメヌエットやリュリのガヴォットなど、研究が進んだ現在では偽作とされているものも多いです。
例えば、ギタリストにとってはおなじみのポンセも、自身の作品をヴァイスやスカルラッティの名を借りて発表していました。
そう考えると、シューベルトの『Adieu』も「偽作の疑いがある」のかもしれません。
この記事をシェアする: Tweet
この記事のカテゴリー: ブログ