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なにをもって弾くか

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今回は散文的なものです。いまひとつ論点が定まりませんが、ご容赦ください。

 

みなさん、普段の練習をする際、弾きたい曲があって練習をすることが多いかと思われます。

「私はこれをなんとしてでも弾きこなしたいんだ!」という強い決意があるならまだしも、大抵そればっかり弾いていると飽きてしまいます。

では、弾きたい曲が無い時はどうするかという時、私の場合は難易度が低い練習曲集を弾いたり、これまたやさしめの曲集をかいつまんで弾くようにしています。

以前、とある方が仰っていたことですが、そもそも曲集というのは一曲一曲を丹念に弾き込むためのものではなく、軽く爪弾いて「この曲面白かった!次の曲はどうかな?」という風に楽しむものだったとか。(もちろん多様な使われ方はしたと思います)

 

表題に戻ります。

なにをもって弾くかということです。

よく目的意識のない練習は無意味といいますが、音楽はスポーツとは異なります。

技巧習得のためであれば上記の意図は必ずしも否定できませんが、あまりにも目的を追求しすぎると、音楽が本来持っている美しさや豊かさが失われてしまうのではないかと懸念しています。

たまには、やさしめの曲集などを用い、音楽の素朴さに触れることも肝要なのではないかと思います。

また、どんなに技巧的に簡単な曲でも、作曲された経緯や意図などがありますから、弾くことばかりに囚われず、まずそういったものに注目してみるのも良いかと思います。例えば、その時代の他の作曲家を調べたり、当時の生活スタイルを調べたり…あと、その作曲家の性格や生涯について調べるのも面白いですね。

 

話がそれました。

要は、弾きたくてそれを弾くことばかりに囚われすぎると、結局は音楽の方向を見失ってしまうことに繋がるのではないか、ということです。

ギタリストのみならず、楽器を演奏する人がよく陥りがちなパターンに、「全ての音を頑張って弾こうとしてしまう」ということがあるかと思います。(即物主義とはニュアンスが違います)

これがいわゆる、「うまいけどなんか心に来ない演奏」の原因のひとつではないかと感じています。

「どうしても弾きこなすんだ!」という強い意志を否定することはできませんが、音楽の素朴さや歴史的な側面に触れないのは、あまりにももったいない気がしてなりません。

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